毎日「ゴキゲン♪」の法則・暮らし編

「暮らし」をみがく読書日記。今の関心は健康的な食べ方、質のいい睡眠、時短家事です。

早すぎる死


いつも楽しみにしているブログで高橋ひろさんが亡くなっていたことを知った。2005年のことだそうだ。思わず絶句してしまった。全然知らなかった。


私にとって高橋さんはいわば二度出会った珍しい人だ。
最初に知ったのはチューリップに新メンバーとして加入した時。長年ファンだった私は元のメンバーが好きだったこともあり、はじめは何この若造、という冷ややかな目で見ていた気がする。ほぼ同年代の人がメンバーになる、ということにもなじめず不思議な感じがした。


その後アルバムを聴いて才能のある人だ、と認識が変わった。歌も上手かった。2回か3回、ライブで見たと思う。しかし、高橋さんが加入した最後のメンバーチェンジのあと、チューリップの活動期間は短かった。解散コンサートに私は行かなかったので、あとのことはまったく知らなかったのだ。


二度目に出会ったのは「太陽がまた輝くとき」という曲。アニメ主題歌で流行っていたようで、CDTVで毎週のように耳にした。といっても30~40位くらいなので流れるのはほんの一瞬だけ。なのにサビが印象的で気になり、ついにTSUTAYAに走った。そのくらい人の心をつかんで離さない何かがあの曲にはあったと思う。


そのCDを見て初めて、高橋ひろという人がチューリップにいた高橋くんだと知った。当時は高橋裕幸という本名だったし、チューリップ時代の曲とテイストがだいぶ違っていてわからなかったのだ。
彼がこんな曲を書く人だとは知らなかった。日本人の血に流れる泣きのツボを知っている、とでも言えばいいのだろうか。以前アン・ルイスさんが「日本で流行るには歌謡曲テイストがないとだめ」というようなことを言われていたが、まさしくそんな感じだ。


その曲を録ったカセットテープはたぶん実家に残っていると思う。当時好きでよく聴いた。名前は聞かなくなっても、きっと地道にライブ活動しているのだとばかり思っていた。こんな言い方したら悪いが、チューリップのメンバーは60近くてもライブやってそれなりに元気なのだ。順番がおかしい。だからすごくショック。
以前大村雅朗さんという、松田聖子さんの名曲をたくさん書き、センパイのアレンジャーとしても大好きだった方が亡くなったのを知った時もショックが大きかったが、今回はそれ以上にショックかもしれない。


人はいつかは死ぬし、それは誰にも避けられないことだが、若くたって才能があったって関係ないのだ。明日死んでも悔いがないように生きているか自問してしまった。
ご冥福をお祈りします。